炭酸泉について
天然炭酸泉は日本に数か所しかなく、
岐阜県で天然炭酸泉があるのは飛騨小坂だけです。
胃腸には日本一
湯屋温泉の発見は天文年間(1532-1555)と伝えられます。古くより “小坂の湯” とも“桃原の湯”ともいわれ、特に胃腸病に卓効があるのと湧出量の豊富なことによって、温泉の権威酒井谷平博士も“胃腸病には日本一”の折紙をつけた名泉です。
*参照『岐阜県小坂町誌』(1965年、小坂町誌編集委員会編)
主な効能
慢性胃腸病・慢性リウマチス・神経疾患・病後の衰弱・慢性子宮疾患・慢性泌尿器病など。
湯屋の湯は入ってよし、飲んでよし、
料理に使えば味よし。
当店の斜め向かいには鉱泉飲み場があります。無料でいつでも飲むことができます。独特のピリッとした味をお試しください。
料理につかうのもおすすめ。このあたりでは鉱泉で湯豆腐やおかゆを作って食べます。炭酸のちからでとてもまろやかな口触りになります。
当店では、持ち帰りに便利な2ℓのペットボトルも用意しております。ぜひお買い求めください。※長時間の保管はおやめください。
湯屋温泉にまつわる昔話~薬師如来と湯屋の湯~
むかし 美濃の国 岐阜の城下に、奥田孫左衛門という武士が住んでいました。
孫左衛門は生まれながらにして病弱のため 両親からも薬師如来を信仰することを教えられて育ちました。そのため厚い信仰の生活を送っていましたが、時に重い病いに見まわれることがありました。
孫左衛門が中年をむかえるころです。風邪がもとで具合を悪くして、医者からも薬からも見放されたかのような毎日が続くのでした。
ある夜のことでした。孫左衛門は不思議な夢を見ました。
夢の中に光り輝く仏さまが現われて、
「これ孫左衛門、汝の日頃から信心深いことは、良いことであるぞ、ここに今こそ仏の霊件顕を与えよう。
ここより東方に、深い山あいの里があり、そこには美しい桃林がある。その基には清き霊泉が湧き出ているので、ありがたく汲み、
身にも浴び、口にも服せば病悩必ずや平癒するだろう」と、お告げがあったのです。
孫左衛門は、これはきっと薬師如来さまの慈悲のお告げであるとして、東方の山間や、渓谷を探しながら、あちらこちらと廻って ようやくにして小坂の湯屋に辿り着きました。
親切な里人の案内で谷川のほとりを探し歩きました。
数日を探し歩いたのですが、すぐに見つかるものではありません。
すると ある日の夕方 崖の上に美しく咲いている桃の老木を見つけました、春の夕方ですから、ひときわ花を美しく感じます。
谷川の流れに枝が差し出ています。その枝には ことさらに花が多く咲いているようでした、ふと枝の下のあたりに、滾々と湧きでる清らかな霊泉を見つけました。
夢は正に現実となったのです。
孫左衛門は、ありがたく感謝して、泉を身に浴び 口に服して静養を始めるや、数日にして身体の調子は整い、旅の疲れも、何もかもすっきりとした気分になっていくのがはっきりと解りました。
孫左衛門は尊い霊顕によって救われた事をありがたく思って、岐阜のすみかを引き払うと湯屋に住まいを移しました。
そして 近くに日頃から信仰していた薬師如来さまをお祀りして里人たちと共に朝夕おつとめをして崇めました。
それ以来 この事を伝え聞いて 多くの人たちが旅を続けながら湯屋の里へやってくるようになりました。
今に残る湯屋の薬師堂建立のはじめは孫左衛門と里人による信仰の現われなのだったと言われています。
後になって、江戸に岡田俊愈という身分の高い武士がいました。
俊愈は病弱であったために、お城のお勤めも休みがちで思うに任せず困っていました。江戸の町のことですから、名高い医者や、貴い薬を次々と用いたのですが効き目がありません、
各地の温泉にも出かけたのですが、変わりばえがしませんでした。
俊愈は日頃から厚く信仰していた、薬師如来さまに全てを おすがりすることにして、日夜一心に祈ることにしました。
すると ある夜 霊夢によって尊い歌を授かったのでした。
やまのおく 世にたぐいなく出る湯を
人の知らざることをかなしき
くめや汲め くむみ薬のもとつかさ
そなわりてある 味の五つを
しなしなに いつつの味は人のみか
心ありても なきもかわらず
夢の三首の歌の上の句が やくしではじまっており、下を並べるとおさかとなることの不思議に驚きました。
そして、「これこそ 私を哀れみ下さる薬師如来さまのお慈悲だ」と感銘したのでした。
ところがおさかと言う処は一体何処なのか、どんなところなのか解りません。逢う人毎に尋ね 尋ねて数か月がたちました。
ある日一人の旅僧姿の老人から、
「飛騨国、小坂郷に赤渋を伴って湧く霊泉がある。諸国の病人が来て、温浴すると、救われる者が多い、近くに薬師堂が祀ってある」と教えられました。
俊愈は旅僧の言葉を信じ―仏に仕えるものを疑うはなし―として長くて困難な旅を決意して、おさかの湯屋へやって来ました。
湯治すること二か月。次第と身体は快方に向かい、旅の疲れと共に、病は薄紙を剥ぐように全快してしまいました。
広大無辺の薬師如来の仏に感謝して、俊愈は湯屋薬師如来に詣でて信心に努めたといわれています。
薬師堂には立派な円空仏も数体お祀りしてあって、今日まで大切に崇められてきています。
*『小坂のむかし話』(昭和55年、小坂のむかし話編集委員会編)より。文中の空白はそのまま記載。